今日の新聞、日本語について一捻(ひねり)りあった。
日本語と国語は違うという。
日本語は外国人向けの技術的なものという。
片言でも何とか通じれば良いという。
国語とは日本人として生まれその歴史や文化を教授して育った人の使うものだというような要約があった。
国語とは「国」家の歴史や文化、伝統を背景として発展してきた言「語」だから国語という、とあった。日本人でも国語のできない人はたくさんいるとも書いてある。
例を挙げて「物のあはれ」という国語を理解し感受できる外国人は絶無に近い、ともある。
納得させられてしまうが、そもそも国語とは学校で習う科目の一つ位に考えていた我には新鮮だった。
ネパールで日本語学校のネパール人の先生を見ていると動詞の後に「~しただから」とか、とても理解できない変な発音が多く主語の無い会話も多く、理解できなく聞いているこちらが恥ずかしくなることが多々ある。
しかし、この記事を読んではっとしたことは、我の書いた「やさしいネパール語・カタコト会話帳」もそうだが、日本語を勉強しても日本人に成る為の勉強ではないのだから、ネパール語を勉強してもネパール人に成る為の勉強ではないのだから、片言でも通じるようになるための便宜的な勉強なのだから、と気付いた。
日本人が、日本でおぎゃーと生まれてからいろいろな習慣や慣習の中で教えられ培っていく国語とは違う。
彼らにとっては少々発音が可笑しくても少々日本人の考え方と違っても意味が通じればまずはOKなのだ。更に我の本を買って勉強する日本人も、旅行で意思が伝わればまずはOKのはずだ。
しかし我の場合はそうは行くまい。日本にいようとネパールにいようと、何処にいようと日本人が日本で話すのだからきちんとした日本語を、正しい国語を使わなければなるまい。そうなると記事の中にもあったが、我が偉いわけではないが、「偉い人達は英語の端くれ単語を混ぜて話す」のは止めなければなるまい。正しい国語ではないから。
最後にあった。
古人曰(いわ)く「君子(教養人)は義(道理)に悟り、小人(知識人)は利(損得)に悟る」と。
我は金に縁が無く、金も我には縁が無い様なのでこの言葉は(くすぐ)ったい。 彦
※ネパールでのダンプス興しでリーダー募集。食住は提供。
農業経験5年以上、農産加工経験者、村興し・町興し経験者、元小中学校教師、その他関連者、以上現地リーダー(アグリカルチャーマスター等を認定)任命
※ネパールで、学校に行きたくても家庭の事情で行けない子どもの日本人奨学金里親を探している。毎月3千円で、現在6年生を10年生卒業までの5年間応援して欲しい。日本の何処からでもいい、手を上げてくれる人を探している。
2011年10月30日日曜日
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