2009年9月17日木曜日

飲みやでアイウエオサークルのスカラーシップ会員と会えた

我は来月で63歳になる。45歳で人生を替えると学生時代に考えた。以来、それを頭に、相当に強く意識しながら頑張ってきた。だから、ボランティアの世界に入ることには違和感は無かった。
45歳でアメリカに、カリフォルニアのベンチュラカレッジのラボで2年間、アラバスターという石を彫っていた。
2年経った47歳のとき、縁あってネパールへ。従兄(いとこ)に誘われて「日ネ・アルコール薬物学会」に参加した。
で、知り合ったのがブッダ・マナンダール氏。彼は、当時、ネパールで60数年前に最初に許可された国民学校シャンチ・ニクンジャ・スクールの学校長。
それまでのネパールでは一般国民の勉強は許可されず、初代学校長は十数回の投獄を繰り返し、国民の勉強を勝ち取ったという。そして、その時点では男性しか許可されなかった勉強を、女性にも許可して欲しいと再度戦いネパールで最初に男女共学を勝ち取った学校だという。
その伝統を引き継いでいるかのごとく、「ネパールには頭脳が無い、力のある人間は皆出て行ってしまう。帰ってくるときはリタイヤーしてから。私の先祖伝来の土地をあなたに寄付するので、このネパールに、海外へ留学する必要の無いハイレベルの学校を作って欲しい」という。
翌日、その土地に案内され、その土地に権利を持つ親族達に合わされ、全員から我に寄託することへの同意が伝えられた。
訳の分からないまま帰国。調べれば調べるほど後発後進国ネパールの遅れが際立ち、「我でも役に立ちそうだ、これが新しい我の人生かもしれない」と思い、アメリカの生活も面白かったが、新たなネパールに人生を掛けることとし、立ち上がった。
1993年4月にアイウエオサークルを発足させて16年が経った。
先達ての話。
飲みに行くとカウンター席を優先で選ぶのが我のやり方。飲み屋では「彦さん」とか「杉さん」と呼ばれているが、たまたま隣に座った飲み客が我とマスターとの話を聞き、「杉さんというんですか?」と話しかけてきた。
マスターが、「アイウエオサークルの杉本さんだよ」と言うと、アイウエオサークルを知っていたらしく、「えっ、本当ですか?」から始まって、しばし話が弾んだ。
しかしその中身は、「ボランティアを始めたきっかけは?」、「どうしてネパールなのか?」、「同じボランティアするなら、本当に困っている国のためにやった方が良いんじゃないか?」、その挙句「杉本さんは神様みたいな人だなー、それとも偽善者かな?」ときた。
われは飲み出したら時間は関係なくなる。我も年とともに人と競う気が薄れ出し、知識の積み重ねと経験の積み重ねからか、全ての物事を味わいながら――の雰囲気になった自分を感じ出した。慌てなくなった。
この日も上手い酒を飲みながら、のんびり相手の質問に答えた。
ボランティアを始めたきっかけから始まって、見方捉え方によって違うがそれでも世界で一番遅れているのはネパール、教育が遅れすぎているから、資源が無いから、海が無いから貿易は不利で、出稼ぎ者の本当の数は分かっていないがそれでも5~60万人もいるだろうといわれ、債務奴隷として生まれてくる子どもがいて、その人身売買に頼る親や親族が多くて、最近は人身売買だけでなく人さらいが横行して児童の臓器売買の供給先となっていて、などなどとゆっくり説明をした。
相手は中々話を切らず食いついてくる。こいつは本当に興味があるんだろうかと疑い出したら、「実は私はアイウエオサークル・スカラーシップの里親になっています」ときた。
いきなり驚かすな!、マスターに「おい、どういうことだ?俺を嵌めているのか?」、「いや驚きました、私も始めて聞く話しで、知らなかったです」。
余計なまずい話をしなくて良かった。アイウエオサークルの里親会員とあって話が出来たのが嬉しかった。だけど、ジョークの好きな人だった。

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