16件目の教育施設建設支援。今年4月30日に完成オープンを盛大に催したチュリデビ校。郵貯簡保機構のボランティア貯金の配分金を戴き建設寄贈した。
現地は、カトマンズから約90キロメートル。雨季には通行禁止になるなど、まだ片田舎だ。
8月はまだ雨季の真っ最中。我は、18日に2泊3日の予定で、前進5段の川崎との合弁会社インド製200㏄のバイクで完成式の後の更なるチェックに向った。バイクは2~3回ほど事務所の近間にちょっと乗ったことがあるが、本格的に乗るのは25~6年ぶりだった。
雨降る中、Tribhvan Highway(国道)をポカラに向けて西へ60キロほど走り、右側を並行して流れているTrishri Riverを渡り、ダディン・デイストリクトに入り、州都Dhadingbesiまで走る。ここまでに4時間ほど走ったが、左手首はクラッチ切り替えで使いっぱなし。クラッチも硬かったが、軽快に走るには頻繁なクラッチの切り替えは大事だ。やはり25~6年ぶり、この時点で手首が麻痺し、痛くて使えなくなり、ダディンベシに近づく頃には、クラッチの切り替えを殆どせずに前進3段での誤魔化し運転となっていた。そして街へ入る直前を左折、通行料を払い、サリャンタールへ。
今日は通行止めになっていなかった。ここからの30キロが問題だった。乗用車は1年中走れない。乾季だけ、ジープや大型トラックに大型バスが走っている。雨季で道路は粘土質のどろどろでわだちの後が深くえぐれ、4WDでも走れない。途中、大型バス2台とバス代わりのジープ1台、大型トラック2台とすれ違った。我は走って間もなく深くえぐれ、どろどろになっている穴にはまり転んでしまった。やっと脱出してまた転び、また転びと3回転んでしまった。地元のバイクもよく転んでいる。転んだまま休んでいると、偶然、サリャンタールのチュリデビ校の前でロッジを建設中のオーナーが、友人との二人乗りで通りかかり、声を掛けてきた。相手の挨拶も聞かずに「助けて欲しい!」「僕のバイクを運転してくれないか、左手首が痛くて支えられず、転んでばかりだ、頼む!」と。相手は笑って「OK!」となった。
彼の運転はやはり地元の青年だけにかなり上手かったのだが、それから、やっぱり、転ぶ転ぶ。オートバイはレンタルだが、もう壊れてもいいと思っていた。我は危なそうな所でバイクを降りていたので、その後は手首を休めることが出来た。サリャンタールに辿り着く頃には、スタンドは外れ、前輪のブレーキワイヤは切れ、後輪のブレーキも効かなくなっていた。今晩は、バイクでお世話になったのだから彼らのロッジに泊まる事にした。サリャンタールに辿り着いた後、直ぐにダディンベシの修理屋に明日の出張修理を手配して、更に、運転を変わってくれた彼はバレーボールの選手でシップ薬を持っていたのでそれを分けてもらい、下着の中まで泥が入り込んでいるところを水シャワーを浴びてどろどろの衣服を着替え、さっぱりした処で手首を手当てしてから、2階の屋上でビールにありついた。新校舎が真向かいに、丘の上によく見える。赤い線が1階と2階の中間と屋上に引かれているのが、やけに見栄える。いい学校だ。地元の人達が、サリャンタールのランドマーク(画期的目印)だと言ったが、全くその通り。我は、ビールを静かに呑みながら見ているだけだが、やたらと嬉しくなる。
明日は、我の新校舎完成後のチェックに合わせて、再度小さな式典を催すと言う。だから、完成式の時のような国会議員や政府の教育長や町長などの偉い人は来ないという。工事に当たって、関係し努力してくれた人達や、地元で寄付など手伝ってくれた人々への感謝状を渡すと言う。それを我に特別ゲストとして手伝ってくれと言う。約100枚の感謝状にサインした。こういう物はどんどん発行して、皆で喜びを分かち合ったらいい。
翌朝、わざとのんびりして、学生が登校した後に出かけた。学校は14教室に、トイレが1階の両端に男女別に作られ合計4ヶ所。校舎の周りには学生達の手で木や花が植えられた。我の記念植樹もある。これがアイウエオサークルがネパールに寄付した施設で16番目の物だ。今までで、1番大きく充実している。新校舎には生徒が溢れている感じだ。みんなの笑顔が、今日は尚更特別の笑顔に見えた。この楽しみ、こうやって我の心のステイタスの高揚を感じる事が、我をネパールに16年間もノー・インカムでボランティアにせき立てて来た原因だ。
時間が延びに延びて、10時半開始予定で2時間が12時半から4時半まで掛った。高学年の生徒達は、低学年の生徒の面倒を見たり、何人もが、飲み水を大きなヤカンで持って歩き、生徒達のみならず、父兄や関係者達にも振舞っていた。ネパールの位置は亜熱帯。昨日の雨が嘘のようで、今日は晴天で熱かった。40度を超えていた。
今日のために、祝いを盛り上げようと、長時間退屈させないようにと、ネパリーダンスを練習した生徒達のお披露目も何回もあった。ACA Japanと我のために生徒達が作詞・作曲したと言う歌も披露された。前回4月の完成式でもあったが、聞いてみたら、また新しく作詞したと言う。心のステイタスが上がった。
突然の校舎崩壊で、教室が不足、生徒も減りだし、学校崩壊の憂き目を見たチュリデビ校、今、新校舎完成に伴い、生徒も戻り、さらに生徒が増えているとの報告を受けた。今まで教育は必要ないといっていた家庭の子ども達が通い始めたとの報告もあった。我は感激で涙もうっすら、我の顔がゆがんだ所を、報告してくれた先生達にしっかりと見て取られた。
ダディンデストリクトのアルガート・サリャンタール地区。この地区にはこれほど大きい建物はかってなかった。アルガートの街はManasle山塊東側のふもとを水源とする大河、Budhi Gandaki Riverにぶつかる、その川のふちに開けた街で、マナスルへのトレッキング道ともなっている。学校の前を通って行った突当たりになる。川向うはGorkhaディストリクト、こちら側がDhadingディストリクトだ。人々は吊り橋でゴルカに行けるが、ここで行き止まりだ。マナスル山塊のふもとの村人達はこの吊り橋を渡ってアルガートに出て、ダディンベシへ、カトマンズへとの道を通るという。チュリデビ校の新校舎が出来て、その周りは、今は何もないが、これから大きく開けると街の人々の将来への夢を聞いた。今回新設でまだ工事中にもかかわらず、縁で泊まったこのロッジもその走りだと言う。しかし、「この場所の土地代が急に値上がりし、金持ちだけが買うことが出来、我々は関係ない」など悲しそうに話す住民もいた。
夕方になってロッジに戻ったら、バイクの修理は終わっていた。修理工は今朝早くバスで来たと言い、今日はバスはもうないので明日朝早くまたバスで帰ると言う。それで、我のバイクをダディンベシまで運転してくれとお願いした。間合いを置かずに即「バス代が要らなくなるのでOK!」と言ってくれた。
3日目、またまた昨日の晴天が嘘のようだ。今朝から雨、暗い朝だ。今日は1日駄目だろう。帰り道、やはり彼も転びに転んだ。またまたブレーキは前後輪ともアウト。スタンドも取れてしまった。また、ダディンベシで修理となった。昼から雨は止み、曇天となった。その後の4時間は雨無し、涼しく、快適にカトマンズまで走ることとなった。 彦
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