2009年9月2日水曜日

デベロップメント・ファシリテーター 1、2、3、

デベロップメント・ファシリテーター、1
暫らく、休んだこのブログ。時々抜けるこのブログ。
やっとしっかりと再開する気になった。いや、再開させて頂きます。
時々あり、最近長らく休んだ理由は、1年位前に下話があった、ネパールのミニストリー オブ ローカル デベロップメント(地方開発省)の仲介で、「カトマンズ メトロポリタン シティーで働いてくれないか?」だった。
内容は、「デパートメント チーフを、あなたMr,Sugimotoの下に置くから、彼らと相談しながら、ネパールの首都であり特別市であるカトマンズ市内の問題処理や、新しいプロジェクト指導や立ち上げなどをして欲しい」だった。
「名誉職ですか?」に対しては「そうではなくて貴方のアイデアを出して実際に手伝って欲しい」だった。
その後も何回か、市の担当者から話があった。
余りに責任の思い仕事なので当初はしり込みし、要求された身上書も出さなかった。
カトマンズ メトロポリタン シティー のGanesh Prasad Bhattarai Asst.Executive Officer からは早く欲しいとの請求があった。
その後、何回か、各デパートメント チーフなどと話を交わすごとに、この提案はアイウエオサークルの理念・目的に合致するので、ネパールの為に頑張ってみるかという気に成り出し、その頃から、ブログでは先走った事を書いてしまわないようにと慎重になり出し、会員や関係者への悪影響を考えて休みだした。ブログを時々休む言い訳みたいになってしまった。
本当に我の立場は政府の言う通りになるのか?と疑りもし、今のネパールは長いこと政治が混沌とし、行政マンは仕事をする気がなくなり、行政の遅れが著しい中、「これではいけない、何とかしなければいけない」と考えている行政マンが、政治から離れた所で、しかも外人のアイディアと実行力を買って市庁舎内の改革や市内外の問題処理をしてもらおう等と、政府や市の中にも頭のいい人間がいるんだと感心し、しかし他方では、我が仕事に失敗すれば、外人のやったことだからと、成功すればこの構想を考えた人たちの勲章になるとも、考えているのではないか?と、疑って見る。
先走らず、周りの人々に余計な事を考えさせず、迷惑を掛けないよう慎重にやろうと決心した時から休んだ。
その後の国内開発省セクレタリーの執務室。更に、「どんな仕事をしますか?、何をしますか?」と再三聞かれ、通訳に「本当にそんな言い方をしているか?」と質(ただ)した場面もあった。
3月から市の持つTV番組の取材を受け出し、我やアイウエオサークルの抱負と気付いた市の問題について再三出させて貰いだした。市のスタッフたちに杉本の名前が浸透しだした時期だ。
4月28日、市役所大会議室で、Chief and Executive Officer から Development Facilitator の辞令を貰い、集った幹部たちの自己紹介を受け、就任に当たっての挨拶とスピーチをした。
  ※現在のネパールでは自治体首長の選挙は凍結され、市幹部は国内開発省から派遣されている。
それから2週間後、「Terms of Reference to the Development Facilitator Mr,Sugimoto for Facilitating Development Efforts of Kathmandu Metropolitan City(付託条件書)」を貰った。我の側の関係者は、中を読むに驚いて、「これでは市の仕事全てじゃないのか」と口走った。
その後、IDカードを貰い、カトマンズ市本庁舎3階の303号室を執務室としていただき、入口と机上に名札がついた。更に電話が引け、ゆっくりと環境が整い、8月中旬にはコンピューターが入るという。
7月3日から仕事も始まり、我への予算も、会議費などで10ラック(約125万円)が入れられた。
13日まで市の仕事とアイウエオサークルの仕事をし、14日に帰国した。
1年位前の下話から始まって、市の幹部が我に言う、「ビスタリ(ゆっくり)、ビスタリ」だが、今は疑いの気も晴れ、やっとブログを続ける気になった。この要職はネパールの為になり、アイウエオサークルのためになると理解できた。ブログ読者には、長い間、済みませんでした。
日本のNPOのあり方や歴史を考え、更にアイウエオサークルの未来を考え、これからなお一層、国際支援の有効性を追究して行きたいと考えて、そんな観点から、このブログを展開します。
また、ご意見を聞かせて下さい。    彦

デベロップメント・ファシリテーター、 2                            
4月28日、Kathmandu Metropolitan City に、外人のDevelopment Facilitatorという要職が誕生した。
カトマンズ市のChief and Executive Officer から Development Facilitator の辞令を貰う10日ほど前、辞令前のChief and Executive Officerとの最後の面談で同席した政府のJoint Secretaryであり市の
Executive OfficerであるDenish Kumar Thapaliya氏が、「本当に外人と一緒に仕事ができるのだろうか?」と我に投げかけてきた。「みんなで私を応援して下さい、せっかく外人を要職に登用して、色んな問題を撃破しようという斬新なアイディアを実行に写すのですから、成功させるためにみんなで応援して下さい、私を色目で見たり、一人にしないで下さい」と笑いながら応じた。彼は黙っていたが、暫らくして吹っ切れたような顔で「仕事が始まれば何とかなって行くのかもしれない、勇気を持ってやってみましょう」と言ってくれた。
市トップのChief and Executive Officerの執務室。かって国内開発省セクレタリーからの質問だった「どんな仕事をしますか?、何をしますか?」と、また同じ質問が飛び出た。あまり先走ったことを言って、絵に書いた餅にはしたくない。一度杉本にやらせてみようという気分が高まりつつある今、我の支援者をカトマンズ市の中に増やすことが先だ。我は「先ず政府や市の幹部たちが望む仕事をしましょう」と、濁した。
Chief and Executive Officerは「今迄の杉本さんは教育に力を注いできた。教育はカトマンズでの大きな問題の一つです。首都でありながら、今だ雨水の漏る教室や屋根の欠けている教室で勉強させられている学生もいます。視察して、どうしたら良いかアイデアを出して下さい、ゆっくりやりましょう」と言われた。
その後、Public Health Department Chiefの部屋で、他のDepartment Chiefたちも交え、「カトマンズの
1番大きな問題はゴミです。水の問題もあります。IT問題もあります。教育もそうです。私たちは杉本さんの意見を聞かなければいけないと指示されています。今はチャンスです。何でもやりますからアイディアを出して下さい」と言われ、約1時間半ほどカトマンズの未来に向って話に花が咲いた。
カトマンズ市のトップであるChief and Executive Officerと局長や部長クラスであるDepartment Chief
との間に幾分の温度差を感じたが、Department Chiefたちの今がチャンスだとの前向きな考え方が強く伝わって来たのが嬉しかった。    彦

デベロップメント・ファシリテーター、 3
Kathmandu Metropolitan Cityで、外人任用のDevelopment Facilitatorという法にない要職の急造断行
までした前例のないおきて破りの異例の、日本でいう官僚人事。やる気になれば何でもできてしまう感じのネパール。しゃれた冗談が好きだ、と感じる。
今の政権は新憲法策定の政府。ネパールの行政マン達は、今の政府の混乱振りでは、新憲法策定に最低2~3年はかかるだろうと予測している。その後、国会を解散して国会議員選挙が成され、次いで自治体選挙が行われる予定だ。そうすると3年後ないしそれ以降に選挙でネパール全国に選挙で選ばれた新市長が誕生することになる。現在の地方行政はネパール政府の手で運営されている上に、彼らが第2の政府といってはばからない全国の政府直轄運営の自治体。官僚主導で行っている地方行政が、新しく選出された新市長たちの手で歪められないようにと、地方改革のために新たな前例を作ってしまえとの発想で、断行した人事。
国王を廃止し共和制を勝ち取り、選挙に勝ち、首相の座を射止めたマオイストが、稚拙な政治運営のため首相や閣僚の座を投げ捨て保守派に政権を譲って間もない、まだ着任して1ヶ月前後の新閣僚たちが慣れて、官僚たちのやり方に横やりが入る前に、その前に、急いで駆け込みでの有りえない人事を敢行、我には成果の積み重ねで強行突破しようとの官僚のしたたかさと下心が見える。
しかし、我に高いステイタスを与えてくれ、Kathmandu Metropolitan City の改革が出来る事は、ネパールの発展を願って止まない我とアイウエオサークルにとっては、願ってもないチャンス。この戴いたステイタスを使って欧米や日本の真似をしたがっている、「ネパールはあと何年で日本に追いつきますか?」との問いに答えるべく、「ネパールにはネパールの幸せがある、絶対に追いつけない欧米や日本の真似をしてはいけない」と言ってきたが「みんなでネパールの幸せを探そう」というキャンペーンを張りたい。     彦

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