国の標語が「祖国は天国より素晴らしい」とある国、それはネパール。
しかし、2008年のネパールは忙しかった。
ネパールの政治だけ見ていくと
4月10日、制憲議会選挙が実施され、テロリストの毛沢東派(マオイスト)が第1党になる。
しかし今日現在、アメリカはマオイストのテロリスト指定を解除していない。
5月28日、暫定憲法の元で選挙で新しく当選した議員達による制憲議会が招集され、暫定政府が設置され、早い時期に憲法の制定を目指すこととなった。更にネパールの新たな政体、連邦民主共和制を選択宣言、ここに240年続いた王制に終止符が打たれ、ギャネンドラ国王が退位、立憲君主制が廃止されて大統領制になり、国名が「ネパール王国」から「ネパール連邦民主共和国」と成った。
6月11日、ギャネンドラ前国王が王宮を退去し、王宮はミュージアムとして生まれ変わることになった。
7月19日、国会議員達による初の大統領・副大統領選挙の実施、が大統領候補は何れも過半数に達せず。副大統領には、第4党のマデシ人権フォーラムのパラマーナンダ・ジャー氏が選出された。このマオイストに協力してきたマデシだが、マオイストが政権に加わることになった際、マオイストの人種枠の範囲でマデシから数人が政権に入ると思われていた、国籍すら与えられていなかった約700万人もいるマデシからの閣僚のみか議員すら選択されなかった事に怒り、マオイストから離れてマデシの地位向上とマデシ自治区の制定を目指した政治闘争を起こす。この抗議行動で地元警察との衝突により21人以上が死亡。驚いたマオイストは既に政権に加わっているため、第1党の議会派と協力、政府はすぐさま、約400万人に国籍を与え、選挙への参加を促した。しかし、マデシはなおも武装闘争も辞さない勢いで政治活動を拡大し、政権議会選挙でいきなり第4党に踊り出た。
7月21日、決選投票の結果第2党のネパール会議派のラムバラン・ヤーダブ氏が初代大統領に選出された。所属はネパール会議派だが、彼の出身はマデシ。
7月23日、大統領及び副大統領の就任式。マデシ人権フォーラム出身の副大統領は、マデシの共通語であるインドの言語・ヒンディー語で宣誓し、マデシ以外のネパール人達から放火についで爆弾を投げ込まれるなどの激しい抗議行動を受けることに。
7月24日、ネパール外務省は、各国外公団に国家の正式名称を「Federal Democratic Republic of Nepal」、略称を「Republic of Nepal」とするように要請。
7月28日、日本国政府は、正式なネパール国号を「ネパール連邦民主共和国」と改めた。
7月29日、ジャー副大統領は、ヒンディー語での宣誓によるネパール国内の暴動状態だった混乱に対して陳謝。
8月15日、首相にマオイストのプラチャンダ議長が選出される。
8月31日、第1党になっても過半数に満たないマオイストは孤立し、2週間も混乱を招いたが、終盤に統一共産党、マデシ人権フォーラム、他との連立がなり、やっとプラチャンダ内閣は全閣僚が就任、成立した。
この後は、従来のマオイストとの戦いはなくなったが、マオイストの青年部隊YCL(ヤング・コミュニティ・リーグ)が、相変わらず寄付の強要や、拉致・殺人に繋がる暴力を振るうなど、社会的混乱の原因を作っている。更には、ガソリンの未払いによる輸入ストップによる大規模ストや各労働者の賃上げストなどが相次ぎ、その度にバンダ(暴力的ゼネスト)で、街からは一切の車が消え、全ての商店がシャッターを下ろすなど、その都度、死の街と化し、殆ど全ての経済活動がストップする。水や電気の供給は相変わらず断片的で、工場等の稼動は思い通りには行かない。
今後に残された大きな問題は、今まで国軍と敵味方として戦い、25,000.人以上の犠牲者を出したと言われる毛沢東派のゲリラ組織、ネパール人民解放軍との合同問題がある。現在の国防大臣はマオイストのNO3、ラム・バハヂュール・タパで、対して国軍制服組みのトップはルークマングド・カトワル陸軍参謀総長。彼はギャネンドラ前国王の側近で国軍と人民解放軍の統合に公然と反対している。コイララ前首相の時にも棒若無人の振る舞いが有り、クーデターを恐れて更迭できなかったと言われている。現マオイストトップのプラチャンダ首相も彼と戦う気は無く、彼を更迭しないと公言している。既に人民解放軍の給料問題など、その不満を解決する限界にあるという状態で、今後の動向が心配されている。更に現在なおも、政府軍と人民解放軍の停戦を国連が監視している。
経済の方は、失業率が2004年で42%、現在は50%を越えていると言われている。
貧困問題では、土地所有者の割合が少ない中、年々増えつづける旱魃や洪水で農作物が被害を受け、そこへの人口増加の影響で食糧危機が進み、近年の貧困線以下の人口割合は31%にも及んでいる。
現在、内戦は停戦状態だが、余りに問題が多いことと、3,000.万人を超える人口に対してGDP1人当り1,200.ドルの発表はお手盛りではないかと信頼できないが、それにしても政府発表は少なさ過ぎる。一体、ネパール国民は何を食べているのかと考えさせられる。
こんな状態で2009年を迎えるネパール、夢を見出すのに苦労するが、今アイウエオサークルの教育の援助が10年、15年後に花開くと考えると希望が沸いてくる。
ネパールと日本の明日に夢が欲しい。 彦
2008年12月26日金曜日
2008年12月24日水曜日
アイエオサークルの危機管理規定に則(のっと)った海外旅行傷害保険企業包括契約特約保険に捺印
あいうえおさーくるの危機管理規定は、理事会承認の元、2002年12月25日に発表、直ちにHP(ホームページ)に掲載された。
それから、年6回の、奇数月ネパール出張の度(たび)にこの危機管理保険に入って来た。
保険は「海外旅行傷害保険企業包括契約特約保険」という。
この保険加入はアイウエオサークル関係者の責任と義務、として導入された。
今日は、来月、1月6日からの渡ネに対して事務所で手配した保険に捺印した。余り好い加減な事を書くと怒られるが、渡ネする度の安全を祈る行事だと思っている。
安全管理規定の中身について、HPを開いて改めて読み直してみたが、つい昨日作ったばかりの新鮮さを感じた。
我ながら、良く出来ていると思った。当時の管理者系統に移動があるところは直さなくてはならないが。
アイウエオサークルの役員を始め、関係者のネパール渡航時にはアイウエオサークルの事務所に申告、この危機管理保険への加入を義務付けられている。
保険の中身は、アイウエオサークルのメンバーとしてネパール渡航中の事故を保証する内容だ。
金額は死亡保障1、000.万円、治療・救援費用600.万円。そのうちの半分を遺族に渡し、残り半分で捜索や、病院への搬送、場合によっては遺体の確保、等など。余った金額はネパールへ寄付となっている。
遅れた国での事故には大変な捜索や搬送、処理などが伴う。特にネパールは日本人の考えるような道の無い国。時には軍のヘリをチャーターしなければならないこともある。
特に、あの有名な近藤亨さんの要請で、自転車100台にピアニカ120台をネパールに送った時は、インドはカルカッタでコンテナごと紛失、大騒ぎになったが、事務所から担当者が探しに行く直前に、保険会社の担当者の探索で発見・確保。やっとトラックで国境を越え、カトマンズに到着。その後天候の不順も遭ったが、何週間も飛行機が出ず、思いあまり、軍のヘリをチャーターした。そんな経験で、特別なルートで軍のヘリがチャーターできることを知った。
飛行機はどこで事故に遭うか判らない。田舎では速やかな捜索が出来ないばかりか、病院への搬送が出来なかったり、遺体の保存が出来なかったり、この手配は日本大使館といえども出来ない。10年以上の現地経験のある民間団体のアイウエオサークルでは、ある程度のことは出来る。そこで自らの危機管理規定を作り、何か遭ったときには、その本人と家族のことを考えて、大胆にチャレンジすることとした。
この危機管理の保険はアイウエオサークルが掛けるが、条件がある。更に自らの保険加入が必要。そのコピーを提出しなければならない。それで、毎回、渡ネの際には二つの保険に入って、ということになる。保険に入っていれば事故には合わない、それがwなら尚更だとからかう輩がいる。
毎年6回、その都度二つの保険に入る。勿体無いと思わないことも無い。その時は、危機管理の重要さを理解していないことの暴露、と自分を戒めてきた。
保険契約用紙にサインと捺印を済ませた今、渡ネする度の安全を祈る行事が終わった。 彦
それから、年6回の、奇数月ネパール出張の度(たび)にこの危機管理保険に入って来た。
保険は「海外旅行傷害保険企業包括契約特約保険」という。
この保険加入はアイウエオサークル関係者の責任と義務、として導入された。
今日は、来月、1月6日からの渡ネに対して事務所で手配した保険に捺印した。余り好い加減な事を書くと怒られるが、渡ネする度の安全を祈る行事だと思っている。
安全管理規定の中身について、HPを開いて改めて読み直してみたが、つい昨日作ったばかりの新鮮さを感じた。
我ながら、良く出来ていると思った。当時の管理者系統に移動があるところは直さなくてはならないが。
アイウエオサークルの役員を始め、関係者のネパール渡航時にはアイウエオサークルの事務所に申告、この危機管理保険への加入を義務付けられている。
保険の中身は、アイウエオサークルのメンバーとしてネパール渡航中の事故を保証する内容だ。
金額は死亡保障1、000.万円、治療・救援費用600.万円。そのうちの半分を遺族に渡し、残り半分で捜索や、病院への搬送、場合によっては遺体の確保、等など。余った金額はネパールへ寄付となっている。
遅れた国での事故には大変な捜索や搬送、処理などが伴う。特にネパールは日本人の考えるような道の無い国。時には軍のヘリをチャーターしなければならないこともある。
特に、あの有名な近藤亨さんの要請で、自転車100台にピアニカ120台をネパールに送った時は、インドはカルカッタでコンテナごと紛失、大騒ぎになったが、事務所から担当者が探しに行く直前に、保険会社の担当者の探索で発見・確保。やっとトラックで国境を越え、カトマンズに到着。その後天候の不順も遭ったが、何週間も飛行機が出ず、思いあまり、軍のヘリをチャーターした。そんな経験で、特別なルートで軍のヘリがチャーターできることを知った。
飛行機はどこで事故に遭うか判らない。田舎では速やかな捜索が出来ないばかりか、病院への搬送が出来なかったり、遺体の保存が出来なかったり、この手配は日本大使館といえども出来ない。10年以上の現地経験のある民間団体のアイウエオサークルでは、ある程度のことは出来る。そこで自らの危機管理規定を作り、何か遭ったときには、その本人と家族のことを考えて、大胆にチャレンジすることとした。
この危機管理の保険はアイウエオサークルが掛けるが、条件がある。更に自らの保険加入が必要。そのコピーを提出しなければならない。それで、毎回、渡ネの際には二つの保険に入って、ということになる。保険に入っていれば事故には合わない、それがwなら尚更だとからかう輩がいる。
毎年6回、その都度二つの保険に入る。勿体無いと思わないことも無い。その時は、危機管理の重要さを理解していないことの暴露、と自分を戒めてきた。
保険契約用紙にサインと捺印を済ませた今、渡ネする度の安全を祈る行事が終わった。 彦
2008年12月22日月曜日
来年の5月、ゴールデンウイークに大ネパール展開催、準備が始まった
朝6時14分、御殿場線東山北駅発。
昨日の夜と同じように今朝も5月と間違えるような生微温(ぬる)い風が荒く吹いていた。テレビやラジオを見たり聴いたりしないので、新聞だけに頼っている我には何故こんなに暖かいのか分からないが,今日は寒いつもりで家を出た。
隣の松田駅で降りて、小田急線に乗り換え、東京のネパール大使館を目指す。
取り敢えず、新松田駅から代々木上原まで行き、そこで当てずっぽうで降り、再度千代田線に乗り換え表参道で降りた。
これが物凄い混みようで、乗ることに迷ったために最後に成ってしまったがそれを速くしろと言わんばかりに駅員に促され、有無を言わさない強引さで押し込まれながら飛び乗らされた。忘れていたラッシュアワー。
更に何人かが駆け込みで背中を向けて乗り込んでくる。後ろに女性がいる。前から押されているのだが結局自分が背中で押し込む形に。右手には紙袋の荷物があり、破らずに自分の方に引き寄せるのに気を使う。
隣には背の低いリタイア間近の白髪の男性がポマードを臭わせている。斜め後ろには30代だろう背の高い男性が微温(ぬるま)湯い鼻息を我の頭に吹き掛けてくる。嫌な臭いだ。更に前に女性が乗り込んで背中で押し込んでくる。この女性はどうしてこんなに混んでいる電車に乗り込んでくるのか?触ったの触られたのとしょっちゅう事件に成っているのに。我は荷物を持たない左手を上げ、ブレザーの右襟を掴む形で他人に触れないよう気を使った。電車が走り出せば左に揺れ、ブレーキを掛ければ右に揺れ、もう電車の揺れと人混みの揺れに任せたが、その踏ん張る足が後で痛くはならないかと心配になる。後悔先に立たずだった。
表参道駅で下車して駅員に聞いた。「等々力駅に行きたいんだけど」、駅員は少し考えたが良く分からない様子で上の事務所へ来てくれとさっさと先頭に立ち歩き出した。事務所で同僚に聞き、「3番線で二子玉川、そこで大井町線に乗り換え、全部東急線だから」と手短に、分かったかという雰囲気で教えてくれた。忙しそうだったが、それで十分。言葉少ないが経験は豊富で嫌味も無く、さっさと済ますその手際の良い仕事がスマートに感じられた。
等々力駅は何も無く道端の小さな駅、駅舎を出ると早速タクシーを拾い、ネパール大使館へ。
大使館オープンの9時5分前に到着。家を出てからひょいひょいと上手く乗継ができて約3時間掛かった。
偶(たま)にしか行かない東京、それでもアイウエオサークルが国際支援活動を続けるには県央の横浜や東京は大事で、外務省や郵貯機構、日本財団、その他補助団体、ネパール大使館と、横浜では県庁を始としてその関連施設へと、時々に行かなければならない所は10ヶ所以上だ。
アイウエオサークルが中央にある関係機関との仕事をしようとしたら、たった1時間前後の話し合いや打合せで、諸に昼間の8時間位が潰れる計算だ。我は3つの県に跨(またが)る神奈川県のチベットと言われる山北町に住み、丹沢山塊の麓にある秦野市という田舎に事務所を持ったアイウエオサークルはこういう点で不利、かといってやはり最後は人間関係、出掛け無いでの仕事では果(はか)が行か無い。
帰りは大井町線の自由が丘駅から横浜へ出て、相鉄線で海老名駅、小田急線でアイウエオサークルの事務所に一番近い渋沢駅へ出た。
交通費は2,000.円で足りない。最近は貰えるように成ったが、それでも何時も出掛ける時は複雑な話や、アイデアを必要とする話が多く、話題に上りそうな菓子類の手土産を持っていく。これは手弁当だ。来月は当初予算の編成時期、ポスト杉本を考えると、後に遺恨を残さないためにもこれも交際費として考えないといけない問題だ。
今日は、来年5月の、ゴールデンウイーク時のアイウエオサークルの大ネパール展の関係でネパール大使館を訪問した。
いよいよ来年の大ネパール展に向かって動き出した。
計画は成った。理事会のOKは取った。会場は押さえた。ネパールからの招致者の同意は取った。ネパール大使館との綿密な打合せが始まった。後は予算がどの位確保できるか? 人員配置はどうか?広報はどうか?この3点だ。
一人でも多くの人々に協力して欲しい。 彦
昨日の夜と同じように今朝も5月と間違えるような生微温(ぬる)い風が荒く吹いていた。テレビやラジオを見たり聴いたりしないので、新聞だけに頼っている我には何故こんなに暖かいのか分からないが,今日は寒いつもりで家を出た。
隣の松田駅で降りて、小田急線に乗り換え、東京のネパール大使館を目指す。
取り敢えず、新松田駅から代々木上原まで行き、そこで当てずっぽうで降り、再度千代田線に乗り換え表参道で降りた。
これが物凄い混みようで、乗ることに迷ったために最後に成ってしまったがそれを速くしろと言わんばかりに駅員に促され、有無を言わさない強引さで押し込まれながら飛び乗らされた。忘れていたラッシュアワー。
更に何人かが駆け込みで背中を向けて乗り込んでくる。後ろに女性がいる。前から押されているのだが結局自分が背中で押し込む形に。右手には紙袋の荷物があり、破らずに自分の方に引き寄せるのに気を使う。
隣には背の低いリタイア間近の白髪の男性がポマードを臭わせている。斜め後ろには30代だろう背の高い男性が微温(ぬるま)湯い鼻息を我の頭に吹き掛けてくる。嫌な臭いだ。更に前に女性が乗り込んで背中で押し込んでくる。この女性はどうしてこんなに混んでいる電車に乗り込んでくるのか?触ったの触られたのとしょっちゅう事件に成っているのに。我は荷物を持たない左手を上げ、ブレザーの右襟を掴む形で他人に触れないよう気を使った。電車が走り出せば左に揺れ、ブレーキを掛ければ右に揺れ、もう電車の揺れと人混みの揺れに任せたが、その踏ん張る足が後で痛くはならないかと心配になる。後悔先に立たずだった。
表参道駅で下車して駅員に聞いた。「等々力駅に行きたいんだけど」、駅員は少し考えたが良く分からない様子で上の事務所へ来てくれとさっさと先頭に立ち歩き出した。事務所で同僚に聞き、「3番線で二子玉川、そこで大井町線に乗り換え、全部東急線だから」と手短に、分かったかという雰囲気で教えてくれた。忙しそうだったが、それで十分。言葉少ないが経験は豊富で嫌味も無く、さっさと済ますその手際の良い仕事がスマートに感じられた。
等々力駅は何も無く道端の小さな駅、駅舎を出ると早速タクシーを拾い、ネパール大使館へ。
大使館オープンの9時5分前に到着。家を出てからひょいひょいと上手く乗継ができて約3時間掛かった。
偶(たま)にしか行かない東京、それでもアイウエオサークルが国際支援活動を続けるには県央の横浜や東京は大事で、外務省や郵貯機構、日本財団、その他補助団体、ネパール大使館と、横浜では県庁を始としてその関連施設へと、時々に行かなければならない所は10ヶ所以上だ。
アイウエオサークルが中央にある関係機関との仕事をしようとしたら、たった1時間前後の話し合いや打合せで、諸に昼間の8時間位が潰れる計算だ。我は3つの県に跨(またが)る神奈川県のチベットと言われる山北町に住み、丹沢山塊の麓にある秦野市という田舎に事務所を持ったアイウエオサークルはこういう点で不利、かといってやはり最後は人間関係、出掛け無いでの仕事では果(はか)が行か無い。
帰りは大井町線の自由が丘駅から横浜へ出て、相鉄線で海老名駅、小田急線でアイウエオサークルの事務所に一番近い渋沢駅へ出た。
交通費は2,000.円で足りない。最近は貰えるように成ったが、それでも何時も出掛ける時は複雑な話や、アイデアを必要とする話が多く、話題に上りそうな菓子類の手土産を持っていく。これは手弁当だ。来月は当初予算の編成時期、ポスト杉本を考えると、後に遺恨を残さないためにもこれも交際費として考えないといけない問題だ。
今日は、来年5月の、ゴールデンウイーク時のアイウエオサークルの大ネパール展の関係でネパール大使館を訪問した。
いよいよ来年の大ネパール展に向かって動き出した。
計画は成った。理事会のOKは取った。会場は押さえた。ネパールからの招致者の同意は取った。ネパール大使館との綿密な打合せが始まった。後は予算がどの位確保できるか? 人員配置はどうか?広報はどうか?この3点だ。
一人でも多くの人々に協力して欲しい。 彦
2008年12月18日木曜日
アイウエオサークルが著者、ネパール語会話集
ネパール文化担当の塩田リーダーが、大手出版社から「やさしいネパール語カタコト会話帳」の著作を貰ってきた。
もう直ぐだが、この出版は来年5月、ゴールデンウイーク時のアイウエオサークルの「ネパール展」に間に合うようだ。
アイウエオサークルが著者で編集担当と成っている。監修者はネパールで日本語学院を経営しているネパール人理事長を推薦しておいた。
いざ、編集ということになり、パイロット原稿の提出を求められて、頭をひねっている。
ネパールで、ネパール語で会話するにはどのような特徴があるのか、考えてみた。
ネパール語特有の癖を見つけようと考えたら段々難しくなってきた。
歴史や生活・文化を考えてみないと中々難しい。
ネパール語に謙(へりくだ)った言葉使いがあるのかどうか?
更に、ネパールの言葉数は少なく、一つの同じ言葉を色々とシチュエーションを変えて使っている。
たとえば「バンダ」、閉めるとか終わるという意味で使っているが、以下通り。
ラジオを止めて→レジオ バンダ|(テレビやモーターなども同じ)
この道は通行止めです→パト バンダ|
店は休み→パサル バンダ(店は休みです。デパートやスーパー、銀行や政府機関、みんな同じ使い方)
ストライキ→バンダ
今日は休日です→アジャ バンダ|
停電です→バッティ バンダ|(バッティ アエナ、とも言うが、日本語はどちらも電気が点きません)
窓が閉まりません→ジャール バンダ|(丁寧に言いたければ、ジャール バンダ バエナ|)
トイレの水が流れません→トイレコ パニ バンダ|(トイレコ パニ ガエナ|とも言うが、バンダが楽)
他にも冷たいという言葉「チソ」等、食べ物や天気、季節など何にでも使う感じの言葉、こんなのが幾らでもある。
当然、ネパール語の単語数は少なく、英語の力を借りないと表現できない場合がかなりある。
挨拶では、モタウヌボ|(太りましたね)というのがある。
さすがに大都会カトマンズで太った人にぶつけると嫌がるが、それでもこの挨拶言葉は知っていて怒ることは無い。
普通か少し痩せた人には、まず喜ばれる挨拶言葉。
ちゃんと食事が出来ていて貧乏をしていないことを喜ぶ挨拶言葉。
日本で使うことはなさそうだ。
ネパール人は初対面から結婚しているか?とか何歳か?その他いきなり個人的なことを聞いてくる。
そして極めつけは、まだ会ったばかりなのに、唐突に「今晩家でご飯をご馳走したいから是非来てくれ」と来る。
お客は神様、断ると神様に逃げられたことになる。
その人が例え貧乏でもこの唐突のお誘いは同じ。
我らは、いきなりお客を連れて帰ったら家庭で困るのではと思うが、そんなことはお構いなし、奥さんや家族も一緒に喜んで、大忙しとなる。文化の違い。
だから当然言葉遣いや挨拶の仕方、話題の中身がかなり違う。
この違いが上手く盛り込めるかどうか?
どんな本になるか、今から楽しみだ。 彦
もう直ぐだが、この出版は来年5月、ゴールデンウイーク時のアイウエオサークルの「ネパール展」に間に合うようだ。
アイウエオサークルが著者で編集担当と成っている。監修者はネパールで日本語学院を経営しているネパール人理事長を推薦しておいた。
いざ、編集ということになり、パイロット原稿の提出を求められて、頭をひねっている。
ネパールで、ネパール語で会話するにはどのような特徴があるのか、考えてみた。
ネパール語特有の癖を見つけようと考えたら段々難しくなってきた。
歴史や生活・文化を考えてみないと中々難しい。
ネパール語に謙(へりくだ)った言葉使いがあるのかどうか?
更に、ネパールの言葉数は少なく、一つの同じ言葉を色々とシチュエーションを変えて使っている。
たとえば「バンダ」、閉めるとか終わるという意味で使っているが、以下通り。
ラジオを止めて→レジオ バンダ|(テレビやモーターなども同じ)
この道は通行止めです→パト バンダ|
店は休み→パサル バンダ(店は休みです。デパートやスーパー、銀行や政府機関、みんな同じ使い方)
ストライキ→バンダ
今日は休日です→アジャ バンダ|
停電です→バッティ バンダ|(バッティ アエナ、とも言うが、日本語はどちらも電気が点きません)
窓が閉まりません→ジャール バンダ|(丁寧に言いたければ、ジャール バンダ バエナ|)
トイレの水が流れません→トイレコ パニ バンダ|(トイレコ パニ ガエナ|とも言うが、バンダが楽)
他にも冷たいという言葉「チソ」等、食べ物や天気、季節など何にでも使う感じの言葉、こんなのが幾らでもある。
当然、ネパール語の単語数は少なく、英語の力を借りないと表現できない場合がかなりある。
挨拶では、モタウヌボ|(太りましたね)というのがある。
さすがに大都会カトマンズで太った人にぶつけると嫌がるが、それでもこの挨拶言葉は知っていて怒ることは無い。
普通か少し痩せた人には、まず喜ばれる挨拶言葉。
ちゃんと食事が出来ていて貧乏をしていないことを喜ぶ挨拶言葉。
日本で使うことはなさそうだ。
ネパール人は初対面から結婚しているか?とか何歳か?その他いきなり個人的なことを聞いてくる。
そして極めつけは、まだ会ったばかりなのに、唐突に「今晩家でご飯をご馳走したいから是非来てくれ」と来る。
お客は神様、断ると神様に逃げられたことになる。
その人が例え貧乏でもこの唐突のお誘いは同じ。
我らは、いきなりお客を連れて帰ったら家庭で困るのではと思うが、そんなことはお構いなし、奥さんや家族も一緒に喜んで、大忙しとなる。文化の違い。
だから当然言葉遣いや挨拶の仕方、話題の中身がかなり違う。
この違いが上手く盛り込めるかどうか?
どんな本になるか、今から楽しみだ。 彦
2008年12月14日日曜日
アイウエオサークルの新年度予算編成時期が来た
2009年度予算編成の手引きを作った。
今年は、事務所の大改革をやり、5月1日から本部事務局の実務者がそっくり入れ替わった。
それから7ヶ月目に入った。
事務局は新人女性2人だが、良く頑張っている。
それまでの事務局は男性2人だったが、実務引継ぎは全て文書で行われた。
その引継ぎ文書を紐解き紐解きの仕事着手であったが、今ではそれぞれが自らの工夫をしながら進めている。
事前の引継ぎや説明は無し。いきなり初日のオリエンテーションから始まった。
アイウエオサークルの事務局に対する決まり事のメインは、「同じレベルの同じ内容の共有」と「代表及び理事に対する秘書役」だ。
「サー、今日から新しい仕事だ、泣き言は言わずにとにかくやってみよう」、から始まった。
全て過去の書類をひっくり返しながら、5月1日からのその続きを真似する処から始まった。
彼女達が、何も知らない状態で着手することに「新しいやり方を見つけるかもしれない」との期待があった。
結果、今の処、余り新しいやり方は見つからなかったが、少しずつ彼女たちの工夫が重なっていることは確かだ。
今の処、仕事に滞りは殆ど無い。安堵(あんど)。
12月は新年度の予算編成に着手する時期。今年は新人の手で纏めて見なければならないので、1月から着手しようと新たに2009年度予算編成の手引きを纏(まと)めてみた。
アイウエオサークルは法人登記した後、各種税金の免除を申請したため、特に税務署からの帳簿の指示もなく、県への予算と事業計画、決算と事業報告を、事後報告だけで、アイウエオサークルの独自スタイルも許される。
それで、前から持論だったが、家計簿程度の会計簿で良いと、今年こそ出来るだけ簡単で、会計の解らない人でも直ぐに理解できるようにしてみようと思っての手引きを作ってみた。
然し、だからといって、「メンバーから集めた会費や寄付金が真に必要な運営サービスに無駄なく使われる設計図になっているかどうか」は押さえて置かなければならない。
そして問題は「NPO業界の実態は、出て行く資金は増えても見合うだけの収入が無いというジレンマを抱えている」点や、特に「09年度予算編成は、5月のアイウエオサークル・大ネパール展を最優先するために、せっかく代々の財務担当者が築いてきた黒字財政の継続の棚上げをにじませる雰囲気を払拭しなければならない。
アイウエオサークルの予算は、会計年度(毎年4月1日~翌年3月31日)事に入ってくる会費などの収入とその年度内での使い道である支出の見積り。
予算編成の手引きでは、4つの予算とし、1つ目が、当初予算を「一般支出」と「カトマンズ事務所支出」の2本立てとする一般会計支出に、2つ目が、特別会計予算で「初・中等教育用施設の建設・寄贈事業」「初・中等学生への奨学金授与事業」「その他、理事会での決議に掛る事業」とし、3つ目が、補正予算とし、これは年度途中で、当初予算が想定しなかった事態に対応するために編成し直す予算で、事態に応じて、その時期の月例理事会で審議・決議を経て執行される、だから今は関係が無い。4つ目が、暫定予算、これは、理事会や社員総会での審議が遅れ、3月31日までに成立しなかった場合の代表理事に与えられた緊急避難的専決で執行する予算、よって1つ目と2つ目の予算を組めば良い。
一般会計予算は、事務局運営のための総務や庶務関係などの基本的運営サービスが対象で、本部事務局が代表の指示を元に各担当理事の意向、各リーダーの要望などを踏まえて作成し、理事会及び社員総会の決議を経て決める。
特別会計予算は、代表の指示を元に事業担当リーダーが作成、理事会及び社員総会の決議を経て決める。
新人だけの事務局でも大丈夫だ。言葉にするから難しそうに聞こえるが、要は家計簿と同じ普段付けてきた収支を拾えばいい。そして皆の意見はこうだが、こうしたら少し希望が持てるが、この分の資金見通しが不足するが、と意見を述べてくれればいい。
新しい実験があると、上手くやろうとワクワク・ドキドキする。 彦
今年は、事務所の大改革をやり、5月1日から本部事務局の実務者がそっくり入れ替わった。
それから7ヶ月目に入った。
事務局は新人女性2人だが、良く頑張っている。
それまでの事務局は男性2人だったが、実務引継ぎは全て文書で行われた。
その引継ぎ文書を紐解き紐解きの仕事着手であったが、今ではそれぞれが自らの工夫をしながら進めている。
事前の引継ぎや説明は無し。いきなり初日のオリエンテーションから始まった。
アイウエオサークルの事務局に対する決まり事のメインは、「同じレベルの同じ内容の共有」と「代表及び理事に対する秘書役」だ。
「サー、今日から新しい仕事だ、泣き言は言わずにとにかくやってみよう」、から始まった。
全て過去の書類をひっくり返しながら、5月1日からのその続きを真似する処から始まった。
彼女達が、何も知らない状態で着手することに「新しいやり方を見つけるかもしれない」との期待があった。
結果、今の処、余り新しいやり方は見つからなかったが、少しずつ彼女たちの工夫が重なっていることは確かだ。
今の処、仕事に滞りは殆ど無い。安堵(あんど)。
12月は新年度の予算編成に着手する時期。今年は新人の手で纏めて見なければならないので、1月から着手しようと新たに2009年度予算編成の手引きを纏(まと)めてみた。
アイウエオサークルは法人登記した後、各種税金の免除を申請したため、特に税務署からの帳簿の指示もなく、県への予算と事業計画、決算と事業報告を、事後報告だけで、アイウエオサークルの独自スタイルも許される。
それで、前から持論だったが、家計簿程度の会計簿で良いと、今年こそ出来るだけ簡単で、会計の解らない人でも直ぐに理解できるようにしてみようと思っての手引きを作ってみた。
然し、だからといって、「メンバーから集めた会費や寄付金が真に必要な運営サービスに無駄なく使われる設計図になっているかどうか」は押さえて置かなければならない。
そして問題は「NPO業界の実態は、出て行く資金は増えても見合うだけの収入が無いというジレンマを抱えている」点や、特に「09年度予算編成は、5月のアイウエオサークル・大ネパール展を最優先するために、せっかく代々の財務担当者が築いてきた黒字財政の継続の棚上げをにじませる雰囲気を払拭しなければならない。
アイウエオサークルの予算は、会計年度(毎年4月1日~翌年3月31日)事に入ってくる会費などの収入とその年度内での使い道である支出の見積り。
予算編成の手引きでは、4つの予算とし、1つ目が、当初予算を「一般支出」と「カトマンズ事務所支出」の2本立てとする一般会計支出に、2つ目が、特別会計予算で「初・中等教育用施設の建設・寄贈事業」「初・中等学生への奨学金授与事業」「その他、理事会での決議に掛る事業」とし、3つ目が、補正予算とし、これは年度途中で、当初予算が想定しなかった事態に対応するために編成し直す予算で、事態に応じて、その時期の月例理事会で審議・決議を経て執行される、だから今は関係が無い。4つ目が、暫定予算、これは、理事会や社員総会での審議が遅れ、3月31日までに成立しなかった場合の代表理事に与えられた緊急避難的専決で執行する予算、よって1つ目と2つ目の予算を組めば良い。
一般会計予算は、事務局運営のための総務や庶務関係などの基本的運営サービスが対象で、本部事務局が代表の指示を元に各担当理事の意向、各リーダーの要望などを踏まえて作成し、理事会及び社員総会の決議を経て決める。
特別会計予算は、代表の指示を元に事業担当リーダーが作成、理事会及び社員総会の決議を経て決める。
新人だけの事務局でも大丈夫だ。言葉にするから難しそうに聞こえるが、要は家計簿と同じ普段付けてきた収支を拾えばいい。そして皆の意見はこうだが、こうしたら少し希望が持てるが、この分の資金見通しが不足するが、と意見を述べてくれればいい。
新しい実験があると、上手くやろうとワクワク・ドキドキする。 彦
2008年12月12日金曜日
アイウエオサークルのインターンシップ
ここの所インターンシップで勉強に来る学生や社会人が続いた。
まず東海大学4年生のK・Hさん、彼女は大学院へ進学するので、じっくりとNPOでの社会体験を積みたいとのことだった。
次は、毎年受入れている県職の研修で県職員のA・Nさん。彼は県の「NPO活動体験派遣研修」に応募して、県から選定されたリストの中からアイウエオサークルを選び1週間の勉強に来た。
そして昨日の慶應義塾大学4年生のK・N君。
K・Hさんは、アイウエオサークルの森で、9人のメンバーと一緒に里山整備に汗を流した。更に、秦野市民の日にA・Nさんと一緒にアイウエオサークル恒例のコーナー参加で、炒ったコーヒービーンズを石臼で挽き、ネパールコーヒー抽出の実演に汗を流した。何れも楽しかったようで、次回も参加させて欲しいと言って来た。
A・Nさんは、インターンシップが終わった後の振り返り(反省会)で、「県ではしっかりとした計画性が先に立つのでその分自由度が無く、その場の状況に合わせる点で柔軟性に掛けると感じた。その場に応じた対応をすると計画性が無いと捉えられると思ってきたが、今は逆にその場の対応力が必要だと強く思った」と言っていた。更に、「アイウエオサークルは国際支援と地元貢献の2つの柱で運営しているが、この繋がりこそがより強力なネパールへの国際支援の基礎になっている」とアイウエオサークルを分析して見せた。そして最後に「アイウエオサークルは未来に向けた先見の明があり、決めた事は時間を掛けてもやる意志の強さも感じた。自分から出向き、対話し、行動する、この3つの流れも体験できた、僕もその姿勢を見習い、芯の有る力強い行動をしたい」と言った。大分に刺激が有ったようで、勉強になったようだった。
K・N君は、大手商事会社に就職が決まっているとのことだったが、学内で国際協力ボランティアサークルの代表になっているので卒業前にできるだけの事をして引き継ぎたいと意気軒昂であった。
彼にはイオンの「幸せのレシートキャンペーン」を経験してもらった。これは全国のジャスコとヤオハンで毎月11日にやっている地域での社会貢献事業のキャンペーンで、登録されたNPO団体が店内に立ち、買い物をしたレシートを各団体の箱に入れてもらい、そのレシートの合計金額の1%をそれぞれの団体に配分してくれるというもの。午後4時から6時までの2時間ジャスコのレジ近くに立った。終わった後、彼は「今後アイウエオサークルの支援団体として活動してみたい」と言ってくれた。そのために、至急にメンバー達と話し合うと約束して帰って行った。
K・HさんとK・N君とはこれからの付き合いが始まるわけだが、県職のA・Nさんはタウンニュースでも紹介された。今後何らかの形で協力をして貰いながら付き合いたい。
アイウエオサークルのインターンシップは、受入れるこちらは淡々とやっているのだが何時も強い刺激を与えるようで、彼らのその発言に期待を持たされる。
学生にも、県職の中堅職員にも、自分の心のステイタス性に気付いて、自分の好きな分野で頑張って欲しい。
彦
まず東海大学4年生のK・Hさん、彼女は大学院へ進学するので、じっくりとNPOでの社会体験を積みたいとのことだった。
次は、毎年受入れている県職の研修で県職員のA・Nさん。彼は県の「NPO活動体験派遣研修」に応募して、県から選定されたリストの中からアイウエオサークルを選び1週間の勉強に来た。
そして昨日の慶應義塾大学4年生のK・N君。
K・Hさんは、アイウエオサークルの森で、9人のメンバーと一緒に里山整備に汗を流した。更に、秦野市民の日にA・Nさんと一緒にアイウエオサークル恒例のコーナー参加で、炒ったコーヒービーンズを石臼で挽き、ネパールコーヒー抽出の実演に汗を流した。何れも楽しかったようで、次回も参加させて欲しいと言って来た。
A・Nさんは、インターンシップが終わった後の振り返り(反省会)で、「県ではしっかりとした計画性が先に立つのでその分自由度が無く、その場の状況に合わせる点で柔軟性に掛けると感じた。その場に応じた対応をすると計画性が無いと捉えられると思ってきたが、今は逆にその場の対応力が必要だと強く思った」と言っていた。更に、「アイウエオサークルは国際支援と地元貢献の2つの柱で運営しているが、この繋がりこそがより強力なネパールへの国際支援の基礎になっている」とアイウエオサークルを分析して見せた。そして最後に「アイウエオサークルは未来に向けた先見の明があり、決めた事は時間を掛けてもやる意志の強さも感じた。自分から出向き、対話し、行動する、この3つの流れも体験できた、僕もその姿勢を見習い、芯の有る力強い行動をしたい」と言った。大分に刺激が有ったようで、勉強になったようだった。
K・N君は、大手商事会社に就職が決まっているとのことだったが、学内で国際協力ボランティアサークルの代表になっているので卒業前にできるだけの事をして引き継ぎたいと意気軒昂であった。
彼にはイオンの「幸せのレシートキャンペーン」を経験してもらった。これは全国のジャスコとヤオハンで毎月11日にやっている地域での社会貢献事業のキャンペーンで、登録されたNPO団体が店内に立ち、買い物をしたレシートを各団体の箱に入れてもらい、そのレシートの合計金額の1%をそれぞれの団体に配分してくれるというもの。午後4時から6時までの2時間ジャスコのレジ近くに立った。終わった後、彼は「今後アイウエオサークルの支援団体として活動してみたい」と言ってくれた。そのために、至急にメンバー達と話し合うと約束して帰って行った。
K・HさんとK・N君とはこれからの付き合いが始まるわけだが、県職のA・Nさんはタウンニュースでも紹介された。今後何らかの形で協力をして貰いながら付き合いたい。
アイウエオサークルのインターンシップは、受入れるこちらは淡々とやっているのだが何時も強い刺激を与えるようで、彼らのその発言に期待を持たされる。
学生にも、県職の中堅職員にも、自分の心のステイタス性に気付いて、自分の好きな分野で頑張って欲しい。
彦
2008年12月9日火曜日
アイウエオサークル支援者の会設立が決まった
今日は月例理事会。
来年度も今年に引き続き写真展開催の同意を得る為の話し合いをしている最中に、支援者及び関係者の会をアイウエオサークル内に作って、写真展開催をきっかけとして全支援者達に声を掛け集まって欲しい、との意見が飛び出した。
どんな人達が支援してくれているのか顔を見たい、知り合いになりたい、そこから信頼の輪が広がるのではないかと発言の主旨が語られた。
理事会での議題は、来年の5月か6月に、写真展を拡大したネパール展を開催するための同意を得る為だった。
ネパールから2人の名匠、彫刻家を招致、実演販売をメインにネパールの芸術家はどんな方法でどんな作品を作るのか見てもらおう。
アイウエオサークルの15年を振り返りながら、アイウエオサークルがどんな考え方でネパールでどんな活動をしてきたか見てもらおう。
ネパールの子ども達の絵画200点に作文50点を展示、ネパールの子ども達が何を考え、何をどんな絵にするのか見てもらおう。
アイウエオサークルが里親との連携で授与している奨学金、その生徒154人の横顔を写真で見てもらおう。
小ホールで、出来ればネパール大使に来てもらい、アイウエオサークル代表と並んで30分ぐらいの講演を聞いてもらい、会場を巻き込んだネパールの今、未来について対談、討論を展開したら。
アイウエオサークルが支援を続け、愛して止まないネパール。
取り敢えず、その準備に入るための同意が欲しかった。
予期せず飛び出した意見は、ネパール展は支援者に集まってもらう良いチャンス、その機会を捉えて支援者達の顔を見たい、会話をして見たい、知り合いと成りたい、と言う。
考えてみたら、アイウエオサークルは15年も経つのに、支援者が集まることは無かった。
ネパール大使と連盟で発行している感謝状贈呈の式典時以外には無かった。
意見を語られると同時に、ハッと、何か大事なことを忘れていた感じに包まれた。
我も、支援者の、特に里親の多くを知らない。
何てことだ、支援者達に謝らなくてはならない。どうしてこんな大事なことを忘れていたのか?
少なからず、我はショックを受けた。
幸い、言い出しっぺの菊池理事がその幹事を引き受けると明言してくれたので、即座に実行が決まった。
アイウエオサークル内に、アイウエオサークル支援者及び関係者の会が発足、その会長を菊池理事が引き受ける。それを事務局が補佐する。
今日の理事会は、良いことを決めてくれた。
今から来年5月3日~5月6日のゴールデンウイークに実施させる神奈川県秦野市文化会館でのネパール展にドキドキしてくる。 彦
来年度も今年に引き続き写真展開催の同意を得る為の話し合いをしている最中に、支援者及び関係者の会をアイウエオサークル内に作って、写真展開催をきっかけとして全支援者達に声を掛け集まって欲しい、との意見が飛び出した。
どんな人達が支援してくれているのか顔を見たい、知り合いになりたい、そこから信頼の輪が広がるのではないかと発言の主旨が語られた。
理事会での議題は、来年の5月か6月に、写真展を拡大したネパール展を開催するための同意を得る為だった。
ネパールから2人の名匠、彫刻家を招致、実演販売をメインにネパールの芸術家はどんな方法でどんな作品を作るのか見てもらおう。
アイウエオサークルの15年を振り返りながら、アイウエオサークルがどんな考え方でネパールでどんな活動をしてきたか見てもらおう。
ネパールの子ども達の絵画200点に作文50点を展示、ネパールの子ども達が何を考え、何をどんな絵にするのか見てもらおう。
アイウエオサークルが里親との連携で授与している奨学金、その生徒154人の横顔を写真で見てもらおう。
小ホールで、出来ればネパール大使に来てもらい、アイウエオサークル代表と並んで30分ぐらいの講演を聞いてもらい、会場を巻き込んだネパールの今、未来について対談、討論を展開したら。
アイウエオサークルが支援を続け、愛して止まないネパール。
取り敢えず、その準備に入るための同意が欲しかった。
予期せず飛び出した意見は、ネパール展は支援者に集まってもらう良いチャンス、その機会を捉えて支援者達の顔を見たい、会話をして見たい、知り合いと成りたい、と言う。
考えてみたら、アイウエオサークルは15年も経つのに、支援者が集まることは無かった。
ネパール大使と連盟で発行している感謝状贈呈の式典時以外には無かった。
意見を語られると同時に、ハッと、何か大事なことを忘れていた感じに包まれた。
我も、支援者の、特に里親の多くを知らない。
何てことだ、支援者達に謝らなくてはならない。どうしてこんな大事なことを忘れていたのか?
少なからず、我はショックを受けた。
幸い、言い出しっぺの菊池理事がその幹事を引き受けると明言してくれたので、即座に実行が決まった。
アイウエオサークル内に、アイウエオサークル支援者及び関係者の会が発足、その会長を菊池理事が引き受ける。それを事務局が補佐する。
今日の理事会は、良いことを決めてくれた。
今から来年5月3日~5月6日のゴールデンウイークに実施させる神奈川県秦野市文化会館でのネパール展にドキドキしてくる。 彦
2008年12月7日日曜日
ネパールから帰国、さて、又1日置きに書くぞ、宜しく。
ネパールから帰国した。
いつもの事ながら、ネパール出張時は縦横無尽にネパールを歩いている我にとって、ネパールのインターネット事情が悪く、パソコンが文房具に成ってしまった今、パソコンがもっとも身近なコミニュケーションツールになった今、我は物凄く物凄く不便を囲っている。
以前は何とかならないかと、日本語のフォントのあるインターネットカフェを探した。しかし、これはカトマンズ市の一部地域にしか無い。さらにあってもソフトが上手く展開しなかったり、すぐに英語に切り替わってしまい元に戻らなく成る。古い為にフラッシュのジャックが無かったり、停電が多い時は1日2時間が3回も、少なくても1日2時間が1回、今でも毎日2~3回もある。で、パソコンは使えず。
言い訳をしている訳だが、それで出張時はブログが書け無く成ってしまう。マズは読者に謝り。
しかし、最近のネパールでは、何も無い田舎に迄インターネット・パサル(店)は普及し出した。それは、国よりも自分達の血族のファミリーを一番大事にするネパール人の電話好きに由来している。彼らは暇さえあればファミリーの誰かに電話をしている。だから遠い血縁、5親等であれ7親等であれ良く身の回りの事が通じ合っている。彼らの仲間に何かあれば、それがお金の問題であればファミリーが銀行の役目をし、事件があればそれが理不尽事でも警察の役目もしファミリーを守る。
その彼等にとって、メールは最も安上がりのツールだ。更にインターネット電話は彼らには特別に安くて便利。日本に掛けても1時間20ルピー(約26円)。
実際にネパールの田舎に足を踏み入れると、その利用範囲は狭いのだが、いずれにしてもインターネットに親しみ使える人が多く、驚かされている。実際に多くの人がアドレスを持っている。
この話は、まだまだ字の読み書きの出来ない人が多いネパールでは、その人達を除いての話だが。
電話は村に1本か2本しか無い。それも電気が無いので、電気があっても殆んど停電状態なので、ソーラーを使っている。近年、殆んど物の無いネパールの田舎で、パソコンは、ネパール人にとって、ファミリーのコミュニケーションツールを増やした事に成る。
日本に帰ってくると、大都市を離れると何も無いネパールだが、田舎へ行くとあちこちで聞かれる「あなたのアドレスを教えて欲しい」が、懐かしく浮かんでくる。こちらは相手の数が沢山だからメールをすることは無いが、実際は100人に教えても1人から来るか来ないかだが。多分言葉の問題だろう。
彦
いつもの事ながら、ネパール出張時は縦横無尽にネパールを歩いている我にとって、ネパールのインターネット事情が悪く、パソコンが文房具に成ってしまった今、パソコンがもっとも身近なコミニュケーションツールになった今、我は物凄く物凄く不便を囲っている。
以前は何とかならないかと、日本語のフォントのあるインターネットカフェを探した。しかし、これはカトマンズ市の一部地域にしか無い。さらにあってもソフトが上手く展開しなかったり、すぐに英語に切り替わってしまい元に戻らなく成る。古い為にフラッシュのジャックが無かったり、停電が多い時は1日2時間が3回も、少なくても1日2時間が1回、今でも毎日2~3回もある。で、パソコンは使えず。
言い訳をしている訳だが、それで出張時はブログが書け無く成ってしまう。マズは読者に謝り。
しかし、最近のネパールでは、何も無い田舎に迄インターネット・パサル(店)は普及し出した。それは、国よりも自分達の血族のファミリーを一番大事にするネパール人の電話好きに由来している。彼らは暇さえあればファミリーの誰かに電話をしている。だから遠い血縁、5親等であれ7親等であれ良く身の回りの事が通じ合っている。彼らの仲間に何かあれば、それがお金の問題であればファミリーが銀行の役目をし、事件があればそれが理不尽事でも警察の役目もしファミリーを守る。
その彼等にとって、メールは最も安上がりのツールだ。更にインターネット電話は彼らには特別に安くて便利。日本に掛けても1時間20ルピー(約26円)。
実際にネパールの田舎に足を踏み入れると、その利用範囲は狭いのだが、いずれにしてもインターネットに親しみ使える人が多く、驚かされている。実際に多くの人がアドレスを持っている。
この話は、まだまだ字の読み書きの出来ない人が多いネパールでは、その人達を除いての話だが。
電話は村に1本か2本しか無い。それも電気が無いので、電気があっても殆んど停電状態なので、ソーラーを使っている。近年、殆んど物の無いネパールの田舎で、パソコンは、ネパール人にとって、ファミリーのコミュニケーションツールを増やした事に成る。
日本に帰ってくると、大都市を離れると何も無いネパールだが、田舎へ行くとあちこちで聞かれる「あなたのアドレスを教えて欲しい」が、懐かしく浮かんでくる。こちらは相手の数が沢山だからメールをすることは無いが、実際は100人に教えても1人から来るか来ないかだが。多分言葉の問題だろう。
彦
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