国の標語が「祖国は天国より素晴らしい」とある国、それはネパール。
しかし、2008年のネパールは忙しかった。
ネパールの政治だけ見ていくと
4月10日、制憲議会選挙が実施され、テロリストの毛沢東派(マオイスト)が第1党になる。
しかし今日現在、アメリカはマオイストのテロリスト指定を解除していない。
5月28日、暫定憲法の元で選挙で新しく当選した議員達による制憲議会が招集され、暫定政府が設置され、早い時期に憲法の制定を目指すこととなった。更にネパールの新たな政体、連邦民主共和制を選択宣言、ここに240年続いた王制に終止符が打たれ、ギャネンドラ国王が退位、立憲君主制が廃止されて大統領制になり、国名が「ネパール王国」から「ネパール連邦民主共和国」と成った。
6月11日、ギャネンドラ前国王が王宮を退去し、王宮はミュージアムとして生まれ変わることになった。
7月19日、国会議員達による初の大統領・副大統領選挙の実施、が大統領候補は何れも過半数に達せず。副大統領には、第4党のマデシ人権フォーラムのパラマーナンダ・ジャー氏が選出された。このマオイストに協力してきたマデシだが、マオイストが政権に加わることになった際、マオイストの人種枠の範囲でマデシから数人が政権に入ると思われていた、国籍すら与えられていなかった約700万人もいるマデシからの閣僚のみか議員すら選択されなかった事に怒り、マオイストから離れてマデシの地位向上とマデシ自治区の制定を目指した政治闘争を起こす。この抗議行動で地元警察との衝突により21人以上が死亡。驚いたマオイストは既に政権に加わっているため、第1党の議会派と協力、政府はすぐさま、約400万人に国籍を与え、選挙への参加を促した。しかし、マデシはなおも武装闘争も辞さない勢いで政治活動を拡大し、政権議会選挙でいきなり第4党に踊り出た。
7月21日、決選投票の結果第2党のネパール会議派のラムバラン・ヤーダブ氏が初代大統領に選出された。所属はネパール会議派だが、彼の出身はマデシ。
7月23日、大統領及び副大統領の就任式。マデシ人権フォーラム出身の副大統領は、マデシの共通語であるインドの言語・ヒンディー語で宣誓し、マデシ以外のネパール人達から放火についで爆弾を投げ込まれるなどの激しい抗議行動を受けることに。
7月24日、ネパール外務省は、各国外公団に国家の正式名称を「Federal Democratic Republic of Nepal」、略称を「Republic of Nepal」とするように要請。
7月28日、日本国政府は、正式なネパール国号を「ネパール連邦民主共和国」と改めた。
7月29日、ジャー副大統領は、ヒンディー語での宣誓によるネパール国内の暴動状態だった混乱に対して陳謝。
8月15日、首相にマオイストのプラチャンダ議長が選出される。
8月31日、第1党になっても過半数に満たないマオイストは孤立し、2週間も混乱を招いたが、終盤に統一共産党、マデシ人権フォーラム、他との連立がなり、やっとプラチャンダ内閣は全閣僚が就任、成立した。
この後は、従来のマオイストとの戦いはなくなったが、マオイストの青年部隊YCL(ヤング・コミュニティ・リーグ)が、相変わらず寄付の強要や、拉致・殺人に繋がる暴力を振るうなど、社会的混乱の原因を作っている。更には、ガソリンの未払いによる輸入ストップによる大規模ストや各労働者の賃上げストなどが相次ぎ、その度にバンダ(暴力的ゼネスト)で、街からは一切の車が消え、全ての商店がシャッターを下ろすなど、その都度、死の街と化し、殆ど全ての経済活動がストップする。水や電気の供給は相変わらず断片的で、工場等の稼動は思い通りには行かない。
今後に残された大きな問題は、今まで国軍と敵味方として戦い、25,000.人以上の犠牲者を出したと言われる毛沢東派のゲリラ組織、ネパール人民解放軍との合同問題がある。現在の国防大臣はマオイストのNO3、ラム・バハヂュール・タパで、対して国軍制服組みのトップはルークマングド・カトワル陸軍参謀総長。彼はギャネンドラ前国王の側近で国軍と人民解放軍の統合に公然と反対している。コイララ前首相の時にも棒若無人の振る舞いが有り、クーデターを恐れて更迭できなかったと言われている。現マオイストトップのプラチャンダ首相も彼と戦う気は無く、彼を更迭しないと公言している。既に人民解放軍の給料問題など、その不満を解決する限界にあるという状態で、今後の動向が心配されている。更に現在なおも、政府軍と人民解放軍の停戦を国連が監視している。
経済の方は、失業率が2004年で42%、現在は50%を越えていると言われている。
貧困問題では、土地所有者の割合が少ない中、年々増えつづける旱魃や洪水で農作物が被害を受け、そこへの人口増加の影響で食糧危機が進み、近年の貧困線以下の人口割合は31%にも及んでいる。
現在、内戦は停戦状態だが、余りに問題が多いことと、3,000.万人を超える人口に対してGDP1人当り1,200.ドルの発表はお手盛りではないかと信頼できないが、それにしても政府発表は少なさ過ぎる。一体、ネパール国民は何を食べているのかと考えさせられる。
こんな状態で2009年を迎えるネパール、夢を見出すのに苦労するが、今アイウエオサークルの教育の援助が10年、15年後に花開くと考えると希望が沸いてくる。
ネパールと日本の明日に夢が欲しい。 彦
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