2008年8月20日水曜日

第2の故郷、ネパールの子ども達に使われる中古ピアニカ

1995年、ネパールに学校寄贈や奨学金授与などの教育支援を続けるアイウエオサークルに、ネパールの教育大臣から直接、ネパールの初・中等音楽教育を手伝って欲しいとの要請があった。
西洋音楽のドレミファソラシドを知らないネパール音楽とインド音楽だけの世界、音楽文化が違い過ぎるための戸惑いや楽器を揃える予算など、様々な難問を抱え、最初の大臣執務室では課題として持ち帰ったが、大臣は「ネパールではSLC(政府主催の10年生統一卒業試験)のための記憶一辺倒の詰め込み教育しか成されていない。私が大臣をやっている間にスポーツと音楽を授業の中に取り入れたい」と熱心だった。二度目の大臣宅での熱心な要請に一歩も二歩も引けた承諾をしてしまった。
古い歴史、ネパール(当時はインド北部)にアーリア人の大陸移動の際に追われたインドアーリヤ人が進入、ネパールの基礎を築いた。その際に闘いの儀式や宗教儀式などに使う楽器として「ハーモニューム」と呼ばれる鍵盤楽器が伝わり、工夫を重ねながらインド北部の伝統音楽で使いこなしてきたという左手で空気を送り込み、右手で鍵盤を弾く楽器があった。だから、鍵盤はドレミファソラシドの西洋楽器でもドレミを知らなくてもネパール人やインド人は使える。カトマンズでは数年前からギターやエレキが入りだし、時々見かけられるようになった。と同時にネパール音楽はインド音楽に押され気味に成り、最近はインド音楽ばかりだと嘆く大人も多くなっていた。
そこいら変の事情を調査しているうちに、日本の小学生の誰もが使ったことがある楽器に気付いた。
チューブから息を吹き込み鍵盤を弾くピアニカだ。そのピアニカは、その殆どが中学進学と同時に使用することが無くなり家庭に眠ってしまう。
次期同じくして、アイウエオサークルの吉田優子初代事務局長が、ボランティアで現地へ赴く度に「ピアニカを寄付して」と友人などに声を掛け、ピアニカをネパールに持ち込んでいた。その時の子ども達が喜びピアニカを弾こうとする様子を見て、彼女はアイウエオサークルの役員会で本格的な寄贈を提案する。
今思えば、ネパールでの音楽教育支援の土壌はアイウエオサークルの中に既にあった事になる。
1996年、寺村重道リーダーを中心として各市町村の教育委員会を通じたピアニカ寄贈のリクエストを発し、特に秦野市と平塚市の中学校での回収が進んだ。
6年前、ピアニカを管理している大野照夫リーダーの言葉だが、彼は写真入で「文化を介在するリサイクル運動」と新聞で話している。上手い事を言うものだ。その時点で既に2,200.台のピアニカがネパールに贈られている。普通は1家に1台のピアニカ、それを集めた台数だから大変な数だと感じる。
因みに、記録を見ると、95年1月中旬にネパールのムスタン地域開発協力会(MDSA)理事長の近藤亨氏より協力依頼があり、それから色々苦労と経験を積み重ね、95年10月03日、秦野市より頂いたしっかりと整備された中古自転車100台とピアニカ130台を横浜港で船積み、カルカッタ港を経由して11月28日、ネパールのムスタン王国・ジョムソン空校に到着した。
翌年3月01日に空港ホールでムスタン国王や郡長・郡教育長・各村長・各学校長など、他に多数名士が参加、盛大な贈呈式が行われ、ピアニカは10校に配られたとアイウエオサークル代表代理で出席した金山幸史カトマンズ事務所長からの報告を受けた。その時の報告に振るった以下、新聞記事が付いていた。
「2台の風力発電機以外に発展した製品は何も無かったムスタン郡に日本のINGO/MDSAが同じ日本のINGO/アイウエオサークルから受領した自転車100台とピアニカ130台を寄贈、最近ムスタンでも自転車が走っています」-1096年3月08日付ネパール政府系最大新聞ゴルカパトラ記事-
以後ピアニカは1997年2月までに810台、その後1998年3月までに310台を贈り、更にそれとは別に1998年の7月~2003年8月までの間にネパール政府の手で129校に1340台が配られ、アイウエオサークルの手でも18校に180台が配布された。
特に1998年4月05日には、ロイヤルネパール航空の協力で関西国際空港で440台が飛行機に積み込まれ、カトマンズに輸送された。重さはピアニカ10台単位での1梱包が約15kgだから、660kgにも成った。この時は在日ネパール大使館のネパール大使とロイヤルネパール航空のダリ・マネージャーにお世話に成った。
この合計で既に2,770台が贈られたことになる。
その後2008年3月までに250台がネパールに贈られ、その内2006年に政府に90台が渡され、アイウエオサークルの手で独自に学校に渡されたものが80台、カトマンズ事務所の在庫が80台となっている。
日本の各地で寄贈された中古ピアニカは、今までに3,020.台が海を渡り、第2の故郷ネパールで、日本の子どもという主人からネパールの子供という主人の手に移り、ネパール音楽を奏でていることに成る。
手元の資料では、現在238校で授業やクラブ活動に使われている。この経過はもと教育大臣の思惑通りであろう。まだネパール中央だけだが、初等音楽教育が定着しだした、とも言えなくは無い。
しかし、ピアニカはまだまだ欲しい。
子どもが使わなくなって、それでも使うかもしれないと子どもが中学高校とその成長にあわせて蔵(しま)い込んで置くが、高校も終わる頃になるとやはり使わないと判り、捨てることとなる。どうせ捨てるなら、国際支援で役立つアイウエオサークルの事務所に捨てて欲しい。  彦

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