北方謙三の三国志。第4巻。
武将張飛の調練。
馬の乗り方が巧みだったが、武器の遣(つか)い方は知らなかった。
頭だけは守れ、とあれほど教えておいたのに、と張飛は思った。
調練で死ぬ兵は、実戦でも生き残れない。
=プロジェクトの遂行は同じだな。中途半端では駄目だ、一つだけできるば良いなんて甘くは無い。
肝心なことは一つも落とすな。
劉備が、なぜ自分たちを魅(ひ)きつけるのか、関羽と語り合ったことがある。
余人には持ち得ない、志があるからだ、と関羽は言った。
志を持った人間に従うのも、立派な志だと関羽はよく言う。
劉備の下で働き戦うことで、自分は生きている。夜盗のような生でなく、志に貫かれた生を生きている。
=人には分相応があるが、それに気付き従うのは難しい。できることが幸せか。
穏(おだ)やかだが、決して徳の人だけでは無い。時々荒れ狂い、時に激情を溢(あふ)れさせ、時には深く沈み込む。父親に似ているのかもしれない、と考えたことがある。
=安心と畏怖(いふ)が同時にある。
劉備の深い思い
琢(たく)県を出て、十五年だった。
この十五年の間に、自分はどれほど大きくなれたのか。五千の軍団を抱え、多少人に名も知られるようになった。天下の情勢も、以前よりはいくらか見えるようになった、と思っている。
しかし、このまままだ耐えるべきなのか。
拠(よ)って立つ土地が無かった。領地というかたちでそれを持ことは難しくなかったが、そうすればひとりで立っているということはできなくなる。
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天は、自分に秋(とき)を与えるのだろうか。
考えても考えても、戻ってくるところは同じだった。耐えよ。待て。
救いは、武将たちが、なにも言わずに耐えて待ち、兵の調練に励んでくれることだった。
=いつまでも志を忘れずに、上に立つ者の独り善(よ)がりの悩みという事。でも良い独り善がりだ。
劉備の考え方
覇者が、政事(まつりごと)をなす。帝は、その上におられる。帝の権威と、覇者の権力が、はっきり別のものだと決めてしまうべきでしょう。覇者は、政事を誤れば滅びます。その時にはまた、帝を中心にして新しい覇者が秩序を作っていけばいい。だから、この国の秩序のために、帝の血は耐えてはならないのです。決して耐えることのない血だからこそ、権力を持ってもならない。私は帝を敬(うやま)っております。ーーーーーーーー
しかし私は、帝の権威を敬っているのです。権力を敬おうとは思いません。
=権威と権力は別のもの、日本人には判(わか)りやすい。日本の憲法がそれを示している。
ネパールも1990年1月に日本の憲法を取り入れて、国王を象徴にした。何処で間違ったのか?
国王の権威と覇者である各政党や武装政党マウイの権力が、権威と権力の両方共に同時に狂ってしまった。不幸な時期だ。
天皇に限らず、国王に限らず、各種法人や団体、組合、組織の長も、政治の世界も、権力を持ってはいけないのは同じだ。我々庶民の世界の権威はリーダーシップと置き換えれば、安全であり、尚の事、判りやすい。
困難なことを、語れる相手とそうでない相手がいる。語ってしまえば、それが必ずしも不可能なことではない、と思えてくる。
=気付かずに遣っていることだが、その通りだと思う。
すぐにぶつかってひと呑(の)みにしてしまおうという意見と、持久戦で行こうという意見が対立していた。
袁紹自身は、まだ幕僚達の意見を聞いている段階である。
すぐにぶつかるにしろ、持久戦にしろ、緩急だと袁紹は思っていた。持久戦に持ち込むと見せかけて、速(すみ)やかに攻める。攻めると見せかけて、腰を据(す)える。そして、策が上手く嵌(はま)った時に、全力で攻撃する。
=全体を見て変幻自在に出来るかどうか、ということだろう。経験に裏打ちされた、先駆性、知見性、継続性、を見た波及効果の高さを見ることだろう。思ってもその時の思いだけで出来ることでは無い。
乱世では、自分が自分であることが、唯一の拠りどころと言っていい。
曹操の見るところ、今それを貫いているのは、劉備ただひとりだった。
「心配するな荀彧(じゅんいく)、兵糧は、いままでなんとかなってきたではないか」
「丞相は、われらの苦労をご存知ありませんな。もっとも、ご存知ならば、これほどの戦の日は送られますまい」
「家臣に恵まれておるようだな、私は」
=それ位分かっているようでなければ丞相は務(つと)まるまい。荀彧程の男が敢えて言うことに気が付いた。
以上が途中で気が付いた箇所、二人目の三国志を読んでいるが、この北方氏の書は薀蓄(うんちく)が多い。
今、来年度の資金調達のための補助金申請書に追われている。この3間日の休日は殆ど睡眠時間が取れない。15日シメの書類がまだ纏(まと)まっていない。面子に掛けて何とかしなければならない。そんな折、息抜きに本を読む。まだ幾分腰が痛いので、真夜中当たりに、ジャスト40度の風呂に鳩尾(みぞおち)まで浸り乍(なが)らの乍ら読みだが、いちいち考え乍ら読むので時間が掛かって仕様が無いが、棒読みすると何も残らないので仕様が無い癖だと思っている。
彦
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